じゅえるんのtwitterより抜粋
自分とどのように付き合うかが 外の世界に反映されます
自分を愛せば 愛されます
自分を大切にすれば 大切にされます
そうなるためには自分が 何を感じ何を想うかを 見続けていてあげること
肉体を見続けてゆくと 原型をとどめる事は出来ず
周りのエネと溶け合って
肉体すらも私でないことを 腑に落とす
向き合って
見続けて
受け入れては また一つ 私とは何ぞやが ほどけてく
俯瞰する目(意識)は誰でも持っているものです
その目に意識を向けると、出来事に右往左往揺する自我を見守る事ができます
これをどんな私でも承知して理解してあげることと表現しています
この地球での遊び方は好きな様に選んでいい
遊園地でこれに乗って遊びなさいと言う決まりはないのと同じ
ヽ( ´ ▽ ` )ノ
どちらか一つを選ぶときどちらを選んでも同じです
違いが出るとすればどう在りたいを見て行くかどうかです
ワンネスはあなたもわたしも居ない場所 1つの愛のエネルギー
意識が自由であること ≠ 自我が自由であること
外の宇宙(内=外)と同じです。
一人一人が光であり愛であり、宇宙全体という一つのタペストリーを作り上げています。
見ている視点によって感じ方は変わり、視点の数だけ意識も拡大します。
全体を見ている視点にいると、全体の中の一つの物としてそれぞれが機能しているのを見ることが出来ます。
緻密に作用しあい、完璧な一つの宇宙を作り出しています。
これが私と思い込んでいたものは、本当に私なんだろうか?
これが私と思うものを、見続けて行くと消えてしまうのに。
自我を見続けて上げること。
どんな私でも良いと受け入れて上げること。
私の一番の理解者が私であること。
こうしていると人の評価で揺らぐことは無くなります。
例えそれが称賛であったとしても。
それは称賛されたことを喜べないのとは違います。
嬉しいと思うその気持ちも、受け入れて良いのです。
人の評価が力を帯びてその期待に答えようとして 軸が外にならないと言う事です。
視点を選び 認識をし 腑に落とす また一つ 宇宙が豊かさを増す
鏡に映る私の姿 鏡が割れて虚像と知る
在る事に意味を付けず 五感に響くものを楽しみ 肉体に感謝
呼吸にも似た この宇宙 現れては消え 消えては現れ
繰り返すうち 認識するものさえも 消えてゆく
光は源
光は命
光は愛
基本中の基本ではありますが・・・ 本当の私と繋がるには、瞑想と内観は外せません
⁽⁽ ◟(∗ ˊωˋ ∗)◞ ⁾⁾
瞑想の1時間タイマーの音にビビる・・・( °ω°´:;
エネルギー体に肉体が溶けてる感から 一気に引き戻される感
( °ω° ( °ω°´:; ( °ω:;.: ( °.:. :::; (´:;….::;.:. :::;.. …..シュルシュル~